『 中津川さんのこと 』

 

 

お店のオープン記念に、中津川さんをいただいた。

中津川さんは箱に入っていて、金いろのリボンをかけられていた。

リボンをほどいて蓋を外すと、うずくまっている中津川さんが見えた。

 

こがねいろの髪をひっぱると、いたい、と中津川さんは言った。そして、こんばんは、と笑った。

朝ですよ、と言うと、「ずっと箱に入っていたから、ずっと夜だったの」と中津川さんは言った。こぢんまりした箱の中から、中津川さんは煙のように出てきた。

 

手づくりのごはんと、お茶とおやつを出す小さな店で、中津川さんは躾のなっていない仔猫のようにふるまった。

中津川さんは気まぐれにすわって、なにをするわけでもなくじっと目をとじたり見ひらいたり、あくびをしたり居眠りしたりしていた。そしてときおり、ぼうっとメニューを見てなにか注文をする。

 

「味がこいわね」

「ちょっと塩がたりないんじゃない?」

「どうしてこんなふうに薄くスライスしちゃうのかしら」

「ブタがだいなしじゃない! うかばれないわよ!」

「ねえ、焦げ目をつければいいってもんじゃないのよ…?」

中津川さんは淡々と、しかし辛辣な言葉をつぶやいてわたしをぞっとさせた。

 

中津川さんの声はわたしにしか聞こえなかったし、そのすがたはわたしにしか見えなかった(中津川さんはプレゼントされた人の世界にだけ存在する)。

つるりとした顔で眉を動かさずにもくもくと料理をたべる中津川さんは、ゆらめくかげろうのようだった。

 

中津川さんはいくらでものんだし、いくらでもたべた。

「あなたにひつようなのは、こころざしではなくて技術と経験ねえ」

などと、たったひとりの従業員で店長であるわたしにつぶやく中津川さんの目は、まるでハイエナだった。

 

「そんなこと言ったって、まだオープンしたばっかりですからね!」

言うと、

「ふーーん」

まっしろな足をぶらぶらさせながら、中津川さんは言った。

 

一日に一度、中津川さんには焼きたてのプリンをごちそうしなくてはならなかったし、それが無理だった(あるいは不味かった)ら、はしってホレンディッシェ・カカオシュトゥーベのバウムクーヘンを買ってこなくてはならなかった(どうして?)。

 

三日に一度はレナード・コーエンの『テイク・ディス・ワルツ』を聴かせなければならなかったし、雨の日は、ブラシでなんども髪を梳いてやらなくてはならなかった。意外と手間がかかる。

 

 

 

 

中津川さんなんていらない。と、十日に一度は思った。

中津川さんは燃えるゴミなのか不燃物なのか、危険物なのか粗大ゴミなのか。ゴミ分別カレンダーを見つめながらかんがえたものだ。

でも、わたしは中津川さんがわたしのつくった料理をたべるすがたを見ているのが好きだった。

 

雨の日でも晴れの日でも、中津川さんが手と口をしずかに動かしているのを見ていると、わたしは、生まれてはじめて自分の手料理をひとつ年上の姉にたべてもらった日のことを鮮明に思いだした。

あの、うれしいような恥ずかしいような、こわいような自慢したいようなふしぎな気持ち。世界にさけびだしたいような、熱くきらきらした気持ち。

 

 

「おいしいじゃない!」

と、姉は言った。こうふくそうに。

それは、わたしをこの道にすすませることになった原点であり、あらゆる希望がぎゅっと詰まった光る最初の種だった。

 

「お茶を出すタイミングが最低ね」

「笑顔がすてきじゃないわ!」

「どうしてお会計がもっとスムーズにできないのかしら?」

 

中津川さんはなんども、しつこくわたしにつぶやいた。

できねーよひとりなんだから!(こころの中で)言うと、中津川さんはたのしそうに笑った(ほんとうに最低)。

 

それでも、

中津川さんはそこにいてくれた。

たべてのんで、文句を言ってごちそうさまといただきますをくりかえして、眠ったりうたったりぼうっと窓の外を眺めたりしながら、いつも。

 

わたしが店をやめたいと思う日ももっと繁盛してりっぱになりたいと思う日も、お客さんにほめられてうれしかった日もたくさん残されてすこし泣いた日も。

 

そこにいてくれる、ということがこんなにもこころ強いなんて知らなかった。ずっとひとりだったから。

 

励ましたり慰めたり、いっしょに泣いてくれたりはしなかったけれど、そこにいてくれる、という最強のプレゼントを中津川さんはくれた。ひょっとしたらそれは、あたりまえすぎて誰にも気づかれない、この世でいちばんの魔法かもしれなかった。

 

 

 

 

 

わたしがすこしずつ成長するにしたがって、お店のリピーターさんがちょっとずつふえていくにしたがって、中津川さんはすこしずつ薄くなっていった。

すこしずつ透けて、ときおりふっと見えなくなった。でも、知らないふりをした。知ってしまったら消えてしまう気がして。

 

日々のくりかえしの中で、花びらが色をうしなっていくように、中津川さんはすこしずつ、すこしずつわたしの視界から褪せていった。

 

わたしは中津川さんのためにプリンを焼くのをわすれ、ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベを買いにいくのをわすれ、レナード・コーエンを聴かせてあげるのをわすれた。

 

雨の日に髪を梳いてあげることだけは、なんとかおぼえていた。中津川さんはきれいでいなくちゃ。

 

「そうやってあたしをぞんざいに扱えばいいんだわ。みんなそうよ。そうやってあたしをわすれていく」

ある日、中津川さんは言った。

「いいのよ、あたしはそういう運命なの。そういう構造なの。…それがあたしの仕事だから」

あんたの前からきれいさっぱり消えてあげる、と中津川さんは言った。

 

 

「中津川さん」

「なによ」

「こんど、休みの日にお花見でもいきましょう!!」

わたしは言った。わりと本気で。

「…い、いいわよ」

中津川さんは言った。

うれしそうに。

 

 

わたしは従業員をふたり雇い、メニューをふやし、売上をのばしてお店をリノベーションしたりした。

中津川さんは薄く、薄く消えていって、わたしは、中津川さんのことをほとんど思いださなくなっていった。遠く霞む街のように。

 

お花見のやくそくを思いだしたころには、すでに葉桜すら散りかかっていた。

 

 

 

 

 

最後に中津川さんを見たのはいつだっただろう?

 

ああそうだ、中津川さんがゆいいつほめてくれた、れんこんハンバーグをたべていたときだ。ああそうか、あれが、最後のばんさんだった。

 

中津川さんはわらっていた。

そうそう、めずらしくわらってたべてくれた。

 

「いいわね、この味」

「いいですか?」

「いいわよ」

「そうです?」

「そうよ」

 

ありがとうございます、とわたしは言った。どういたしまして、と、中津川さんは言った。

 

 

 

 

 

中津川さんをいただいたことも、中津川さんが箱に入っていたことも、ふたりでうとうととおひるねをしたことも、時の流れにすくわれてしまった。

中津川さんの髪の感触も、すわっていた窓ぎわの席も、お気に入りだったグラスの透かし模様も、水しぶきをあげて見えなくなっていった。

 

そうして中津川さんの、

「あたしを100パーセントわすれたら、あたしたち、なかよしになれるのよ」

という言葉も。

 

今は中津川さんの影だけがここにある。

わたしはその影にすこしはなしかけて、今日も店に立つ。

 

 

 

 

 

 

☆初出 https://mizuumimori.blogspot.com